先日、或る大手証券のアナリストと食事に行ったときに、彼が投資用マンションを購入する予定であることを聞いた。都内中心部に近く、駅徒歩2分のワンルーム専用の一棟建てとのことである。総額は1億数千万円で3千万円を頭金に残りは銀行ローン。ローンの支払いは家賃収入で全額賄われ、15年で完済できる。したがって、15年後から不動産収入が得られる、定年退職後を見据えた投資とのことである。確かに不動産投資としてはそんなに悪いものではないのかもしれないが、どことなく寂しい気持ちになった。株式投資の世界で生きているアナリストが株式に投資をせずに他の運用手段を選んでしまうということにである。
もちろん、アナリストが株式を直接購入することは、コンプライアンス上いろいろと面倒な手続きが必要である。また、痛くない腹を探られたくもない、ということもあり難しいのは確かである。しかし、株式投信であればこうした問題は起こらないはずである。
それにも関わらず、アナリストで株式投信を購入しているという人に会ったことがない。意地悪な言い方をすれば、自分自身の顧客の腕前を信じていないということである。
また、アナリストだけでなく、ファンドマネージャーでも(自分自身が運用している)投信に金融資産の大部分を投入しているという人も知らない。何故、株式投信はそんなに魅力のない金融商品なのだろうか?
今、機関投資家に普及しているのが、アナリスト・コンセンサス(業績予想の平均値)に対してどの程度業績(実績)がブレるかを予測して投資する手法である。これは、アナリストの予想データ集計が正確に行われるようになった3年くらい前から広がり始めた。予想と実績の乖離を探して投資をするという手法は確かに有効なように見える(少なくともこれまではそうだったのであろう)。しかし、それが対象としている業績予想は今期、来期であり、機関投資家の短期志向に拍車をかけるものとなっている。皆がこうした手法に走り、アナリストが足元の業績動向の把握に注力すればするほど、予想と実績の乖離は縮まってゆく。インデックスをアウトパフォームできなくなるのは時間の問題である。
1週間くらい前に、さわかみ投信の澤上社長の講演を聞く機会があった。講演の論点をいくつか挙げると、1)日本ではまだ本当の運用競争が始まっていない、2)これまでは物価上昇による資金の実質的な目減りを高い金利で分からないようにしてきた、3)日本の機関投資家は需要者(投資家)側にいるのではなく、供給者(発行企業)側に居る、4)それは資金の流れが投資家から直接運用機関に流れるのではなく、年金、預貯金、保険を経て流れていることによって生じている、5)銀行、保険、年金が崩壊することによって資金が投資家から直接運用者に流れるようになる、6)その結果、本当の運用競争が始まる。
本当の運用力とはなにか?企業の目先的なキャッシュフローを予想するのではなく、本来的な価値(無形固定資産)を理解できることである。経営の本質を理解することである。何が幾ら売れました。コストダウンで販売管理費率が何ポイント下がりました。為替の円高で為替差損がいくら出ました、なんて瑣末なことだけを言っているアナリストや、そんな数値を求めているファンドマネージャーは間違いなく淘汰されるだろう。リソースと戦略を分析することが重要になってくる。アナリスト・ファンドマネージャーは経営者の資質も持っていなければ務まらなくなるだろう。投資家が運用者を自ら選べるのであれば、小手先の鞘取りの時代はやがて2、3年で終わる。その時に始まるのは本当の企業選別であり、株式市場が未来創造の場として"神の見えざる手"となるときである。
株式会社ティー・アイ・ダヴリュ 代表取締役 藤根 靖晃
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