この1ヵ月くらいの間に新聞紙上を賑わしたのは、某早稲田大学大学院教授の手鏡事件、三菱自動車の経営再建問題と、政治家の年金未納問題などではなかっただろうか。これらの問題は一見、全く別の事柄のようであるが、共通の事象を持っているように思われる。それは、社会全体が倫理や法令順守というものに極めて敏感になってきているということである。この背景として、こうした問題にはどちらかといえば敏感な女性の社会進出が進んだこと、転職が広がることによって内部情報が外部に流出しやすくなったこと、選挙における浮動票が増加したことによって政治の大衆心理への迎合が強まったこと、個人の意見が組織や地域社会に縛られなくなってきたこと、インターネットの普及によって個人の情報発信や情報伝達の遮断(隠蔽)が難しくなってきたこと、人の移動や資金のグローバル化による海外の基準の適用などが考えられる。
昔は政治家が、口利きで謝礼を貰う(収賄)のは当たり前だったし、愛人を囲うのも当たり前だったのかもしれない。野球選手や関取は競技者として有能であればグランド(土俵)の外のことはあまり問題視されなかったように思われる。身内に暴力団関係者が居ても降板されなかった大スターも居た。こうした面も含めておおらかな古き良き時代だったのかもしれない。敢えて古き良き時代と表現したのは、地域や所属集団の目が抑止力となって深刻な犯罪が起こり難い体質をかつての日本は保持していたからだ。人の移動(地理的・職業的)が活発になることによる地域社会の崩壊、学校教育の崩壊、将来に対する不透明性の増大が、個人の意識をより利己的な方向に向かわせてしまっている。それが現在の日本の姿ではないだろうか。それに対する反作用が従来の"所属する共同体による監視"とは仕組みを変えて起こっているように思われる。これは"マスメディアの大衆化と大衆自身のメディア化"なるものである。この構造の中では、知名度の高い企業や個人ほど一度問題が起こると徹底的に叩かれる。これは以前の比ではないことは明らかだろう。
さて、企業経営に関しては、雪印乳業、三菱自動車に代表されるように、まずは販売する製商品そのものが厳しく問われることになる。これは小売店も同じだろう(余談であるが、コンビニエンスストアで果たして風俗情報誌を売っていても良いものだろうか、と思ってしまう)。次に販売した後のサポートがより重要になる。例えばパソコンだが、直販で売っている外資系メーカーは直販で売っているだけに販売した製品一つ一つについてトラブルや過去の問い合わせ状況を把握している。パソコンが一時期のように2年で買い替え更新するものではなくなりつつことに逸早く対応しているといえよう。サポートだけでなく、廃棄物処理を含めた販売責任は、益々重くなる。また、従業員の労務管理(サービス残業、セクハラ、パワハラ)と言う意味でも法令順守がより厳しくなってくるだろう。経営者のモラルもより強く問われてくる。10年ほど前に、社長が暴行で訴訟を起こされた上場会社があったが、この時は「きちんと示談にします」という説明で火消しが出来た。今だったら到底それでは済まないだろう。
さて、取り留めのない話になったが、現在上場している企業の中でも「企業社会責任」が口先だけに終わっている会社が非常に多いように思われる。ディスクロージャーという観点だけとっても未だにセレクティブな開示を行っている企業が見受けられる。意外かもしれないが、個人投資家層の開拓に力を入れている比較的時価総額の小さな新興企業よりも機関投資家層を中心株主に持つ伝統ある有名企業に多い。
企業経営においても外部経済の重要性が高まっている中で、単なる収益力や成長性だけで良い会社の定義が出来なくなっている。また、今後は一般大衆の株式投資が徐々に広がることが予見されるだけに広報・IR戦略の重要性もさらに高まるのであろう。
株式会社ティー・アイ・ダヴリュ
代表取締役 藤根 靖晃
(私は国民年金をちゃんと払っています)
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