5月26日に大証ヘラクレスに上場したレカム株式会社の伊藤秀博社長にお話を伺いした。伊藤社長は1962年生まれの41歳、1994年にレカムを設立して今年がちょうど10年目で、記念すべき年にIPO実現となった。同社は営業のフランチャイズシステムを武器に、中小企業向けの通信機器とOA機器販売事業を全国に拡大している。自ら営業力を武器に独立した伊藤社長は、全国の営業マンが自らのスキルを武器に起業するためのインフラを提供したいという思いから現在の営業FCシステムを展開してきた。伊藤社長の"経営"にかける思いを読者にも披露したい。
伊藤社長の好きな言葉は "Sales is Science". 営業活動は確率論であるということ。ある人は10件訪問すると3件契約できる。一方未熟な人は10件の訪問で1件の契約しかとれない。未熟な人が同じ成果を上げるには3倍の件数の訪問をこなすか、成約率を上げる工夫が必要ということ。
住宅会社を経て潟tォーバルに入社したのは昭和60年4月、民営化でNTTが誕生した年のこと。それまでユーザーは電話機を電電公社からレンタルして使うしか選択肢がなかったが、民営化に伴う規制緩和で自分の好きな電話機をディーラーから自由に買う、あるいはリースして使うことができるようになった。
こうした状況の下で、飛び込み営業の繰り返しで電話機が簡単に売れる、恵まれた時代であった。当時伊藤社長は、ある程度の成功確率に満足して最高の成果を目指さない同僚の行動に疑問を持ち、独自に飛び込みで訪問した見込み顧客のデータベースを作成し、後日テレアポで先方の社長との面談数を増やし成約率を社内トップクラスに高めていった。
マネージャーとなってからも、部下に無闇な外回りは辞めさせ、まずは有望顧客のデータベース構築、次いで意思決定者と面談するためのテレアポ取り、その上で訪問して顧客にメリットのあるプランを提示というサイクルを徹底させて業績を伸ばした。
自身が元々起業の意思を考えていたことと、ビジネスホン販売は無店舗、店頭在庫なし、リースで導入するため回収はリース会社が行うという特性上、小規模でも算入しやすいという事情があり、28歳で退職し赴任先の福岡で独立した。この独立時から3年後にレカムを設立するまでの経験が営業フランチャイズの原点となっている。
未上場企業という看板なしでの営業の苦労、小さくとも会社として必要な経理処理、さらには元の会社と競合する関係であることから仕入先確保にも苦労した。「営業の確率を高める」ことには自信を持っていた伊藤社長も、独立・起業の難しさを痛感した。この経験から、営業力を武器に独立を目指す人向けのパッケージ(営業FC)を作れば、支持されると考えるようになった。その後、同業2社と仕入のスケールメリットを得るため共同出資会社を東京に設立、やがてその4社が合併して現在のレカムの姿が出来上がった。ほぼ時期を同じくして営業FCの募集を開始している。
近年インターネットの普及とオフィス機器のネットワーク化が進み、通信機器とOA機器の融合で製品別のディーラーの垣根も崩れ競争は激化している。生き残りには、業界トップクラスの規模の企業か、地元に密着し商売が成り立つのに必要な数の顧客をがっちり抱えている企業しか生き残れない状況が進んでいる。レカムというFC本部機能を強化する一方、地元密着型の小規模FCを着実に増やしている。
レカムの今後の目標は、@早期に全国100店舗達成(現在44店舗)、A中国で通信・OA機器販売(昨年10月に中国大連市にテレアポ専用のコールセンターを開設済み)に参入すること。また伊藤社長個人の夢は二つ。ひとつは50歳でゴルフのシニアプロデビュー。こちらはこの3年間クラブを握っておらず難しそう。もう1つの夢は経営第一線から離れた後、NPOを設立、小学生に商売の仕組みを教え、実体験させるようなプログラムを企画、実践すること。こちらは必ず実現させたいとのこと。社員にも日頃から「夢に日付を入れろ」と言っている。夢を憧れに留めず、期限を設けて目標に変えてほしいという思い。会社設立時には5年での上場を目標とし、10年掛かったが実現した。必死になれる環境に自らを置くことで目標を実現できると考えている。
一人の営業マンが自らの苦労と成功体験に基づきここまでたどり着いた。今後、上場会社の経営者としての道程もけっして楽とはいえないはずだが、持ち前の夢を実現することに架ける思いはきっと株式市場に参加する投資家も満足させてくれるものと信じたい。
レカム株式会社のHPはこちらから ⇒ http://www.recomm.co.jp/
東京IPO編集長 西堀敬 nishibori@tokyoipo.com
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