「知識」という概念が近年広まりつつある。かつて、P.F.ドラッガーが著した「知識社会」が、生産性の弛まぬ向上、移動・運送手段の低廉化、コンピュータによる情報処理の高速化、インターネットをはじめとした通信手段の飛躍的な発達、などにより環境面では具現化されつつあるように思われる。2000年のインターネット・バブル崩壊からネット関連企業への評価が回復しつつあるのも資本市場が「知識」に価値を見出し始めていることを表しているのかもしれない。
さて、企業経営における「知識」とは、経営陣のマネジメント能力、従量員のスキル・モチベーション、企業ブランド、技術開発力・特許・著作権、顧客基盤、外部の協力体制等々が定義され、その測定と効果的拡大に向けたコンサルティングなど全世界的に取り組みが広まりつつある。
他方で、日亜化学と中村修二氏の特許紛争にもみられるように先端技術やエンタテインメントの世界においては、「知識」そのものが個人の創造力に負うことが鮮明になりつつあり、権利とその所得分配に関しての問題が現行の法律の枠組みでは解決が困難な状況が生まれつつある。個人の権利を尊重し、事業推進を行う企業の権利を疎外するのであれば、投資家の離散を招くことが危惧される。企業の権利を尊重し、個人の権利を阻害するのであれば人材の海外流失を招くか、創造性そのものが停滞する可能性を持つ。
また、人材の流動化が加速するに至って、人材育成を自ら行うよりも外部からヘッドハンティング等で引き抜いてきた方がコストや時間においての優位性が高いという状況が引き起こされている。その結果、資本力に勝る大手企業がベンチャー企業から札束で叩いて人材を掻っ攫ってゆくということが横行しつつある。景気回復が一段と進む局面では、再びベンチャー企業の求人難は深刻になるものと考えられる。唯一、IPOにより知名度向上と、株式の貨幣化(=ストックオプション)を進めることがベンチャー企業の生き残る道となりつつあ
る。
一方で、人材育成という社会貢献(というよりも社会責任ではないだろうか!)を放棄する大手企業が増えたことによって、若年層の業務遂行能力の低下が長期的な日本の競争力の低下として深刻視されつつある。人材育成(人材の社会への還元)という観点からのCSRも求められるのではないだろうか?(CSRのアンケート用紙を幾つか見る限り、新卒採用に関しての設問は無い。離職者が多いことが単純にマイナス要素になってしまうのはどうしたものか!)
さて、話を戻すと既に到来しつつある「知識」社会に向けて、著作権・特許といった権利に対する見直しだけでなく、事業主体である企業の枠組み(商法・会社法)の見直しも求められている。ハイテクなどの先端技術にとどまらず、日本のお家芸とかつては言われたゲーム、アニメなどコンテンツ産業の発展に向けて、「知識」そのものを資産と認識が可能な、米国におけるLLC(Limited Liability Company:有限責任会社)のような新たな制度基盤の構築が早期に求められよう。
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