前回は、私が所属していた証券会社の事業法人部時代の話をした。証券会社の事業法人部という部署は、現在でも上場企業のファイナンスの一役を担う極めて重要な部門であるが、当時は、その一部門が叩き出す収益力ともあいまって会社内での発言力も強く、極めて特異な存在であったといえるだろう。少し、立場は違うが当時の省庁で言えば、大蔵省並みの力と権限をもっていたというか、そんな感じであったと思う。バブル崩壊の過程で大蔵省もその巨大すぎる権限から、金融庁と財務省に分割させられた。予算を策定する部門と銀行や証券などを監督する部門とを切り離したわけである。この大きな理由の一つに、銀行や証券など金融機関との癒着を排除するということがあった。
当時の事業法人部も上場企業との癒着と言う意味では、同じような形になっていたのではないかと思う。つまり企業の資金調達と資金運用を同時に行っていたことに大きな問題がある。当時の優秀な事業法人マンというのは、企業からいかに多くの運用資金を預かってくるかということと、企業のファイナンスでいかに多くのシェアをとるか、主幹事業務を行うかということにあったわけである。これを、上場企業から見た場合は、証券会社の役割というのは、自社の運用資金をいかに有利に運用してくれるかであり、あるいはその成績如何が各証券会社の実力であり、主幹事宣言をはじめとするシェアに直結していったのである。証券会社が行う資金調達や運用の中心は、無論、株式市場である。そうなると上場企業からみた証券会社の力というのは、株式市場でいかに影響力を持っているかということになってくる。極論を言ってしまえば、当時の上場企業からみれば、株価は証券会社が作るものと真剣に思っている向きもあったのである。
相場操縦の禁止であるとかインサイダー取引問題、あるいは損失補てんの禁止、今の証券市場では、当たり前のコンプライアンス問題が、当時には希薄であった。また、当時の外部環境も、それを煽るような雰囲気があったことも事実である。例えば現在は、取引所となったジャスダック市場銘柄(旧店頭市場銘柄)などは、インサイダー取引の圏外にあったし、当時損失補てんの温床ともなった事業法人部が運用していた巨額の営業特金なども一応大蔵省の認可を得て実施していたことである。財テクに関する考え方も、当時はしない方がおかしいのではないかという風潮すらあったのだ。こうした環境とその熾烈な競争から上場企業と証券会社が互いのメリットを求めて株式市場を利用し、飛ばしをはじめとする違法行為に手を染めていくのは半ば必然であったかもしれない。しかし、その代償は、100年続いた山一證券の崩壊であり、野村證券トップの逮捕劇であり、日興などの外資身売りや数えきらないくらいの中小証券の倒産・再編劇である。今となっては、全てバブルと一言で片付けられてしまうことも、その宴が残した爪痕はあまりにも大きなものであったことは言うまでも無い。
ここで、私が強調しておきたいのは、日本の企業IRというのは、こうしたバブル崩壊の過程を経てごく最近になって本格的に醸成されてきたということである。バブル崩壊の過程と同時に進んだのは、コンプライアンスの強化であり、それはこれまで証券会社に任せきりにしてきた証券市場における企業のファイナンス戦略の自立を意味している。個人投資家は、こうした事実背景をよく理解した上で「企業が自分自身で株式市場で評価をしていただく」そんな当たり前のことが、ごくごく最近になってようやく企業に浸透しだしたのだということをよく肝に銘じておかねばならない。従って、企業IRの本質を見抜くこととは、その企業側の意識を見極めることがポイントになる。なかには、企業IRという言葉に乗じて投資家を欺いたり、踏み台にしていく企業も散見される。読者の皆様には、くれぐれも本物を見抜く力を培ってほしいものである。
株式会社KCR総研 代表取締役 金田洋次郎
(証券アナリスト・IRコンサルタント)
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