日本企業のIRの原点を考えた場合、学術的には、1961年(昭和36年)のソニーがNYで発行したADR(米国預託証券)に伴うものが最初とされるが、実践面においては、私がIRに従事してきた1992年頃からと考えるのが妥当であろう。これは、その翌年に設立された日本IR協議会ともほぼ軌を一にするもので、まさにここ10年ほどが本格的な我が国におけるIRの実践であり、試行錯誤の始まりといってもいい。
結論を先に言うわけではないが、この間の大部分において日本の企業IRが大手証券会社主導で進行してきたのは間違いない。この理由の第一は、長らく続いている引受体制の寡占状態にある。私がIRを担当した当時において、証券会社の引受業務は、ほぼ四大証券に独占されていた。周知のごとく、証券会社には主に4つの業務があり、それぞれにおいて免許が必要である。多くの個人投資家が接するのは仲介(ブローカー)業務であり、投資家からの株の売買を取り次ぐ仕事である。この仕事がほとんどの証券会社の中枢を占めるわけであるが、そのほかに自己売買(ディーラー)業務、売り捌き(セイリング)業務、そして引受(アンダーライティング)業務がある。これら全ての免許を持った証券会社を総合証券と呼んだ。
この4つの業務は、第一号免許から第四号免許までに細分化されていて、当時、証券会社が総合証券になるには、全ての免許が必要なのはもちろん、またその全基準を満たすにも多額の資本を要するなど、証券取引法上の縛りもきつく、当局による実質審査の側面からも、ほぼ新規参入は不可能な市場といえた。1998年より、証券会社は、登録制になり、こうした免許区分はなくなったが、現在においても引受業務だけは、免許制になっている。こうした歴史的にも新規参入が難しい引受業務において、なかでも主幹事業務と称する引受行為は、仮に総合証券としての免許は持っていても、参入は上位大手証券会社に限定されていたのである。当時でいえば、野村、大和、日興、山一(1997年破綻)、新日本(現新光証券)、勧角(現みずほインベスターズ証券)までで、ほぼ100%近くのシェアを占めていた。
我が国IRの原点を振り返るとき、こうした引受主幹事業務が四大証券を中心にせいぜい上位6社程度で100%近くを長年に亘り占めているというのは、我が国証券市場の特異的な特徴といえよう。なぜなら当時においても新規参入が阻まれていたとはいえ証券会社数は約300社近くあり、形式上主幹事業務が可能な総合証券も数多く存在したからである。証券市場は、発行市場と流通市場の両輪で成り立っている。無論、発行市場に比して流通市場の方がはるかに規模は大きいが、証券市場全体の新陳代謝を支えるのは企業の新規公開(IPO)や資金調達(ファイナンス)業務を担う発行市場である。その観点からは、発行市場は、流通市場に比してあまりにも競争参加者が少ないといえよう。
もっとも、数社しかないからといって当時の主幹事争奪戦による競争が生ぬるかったわけではない。バブル期も含めその担い手の中心であった法人部門のすさまじい競争ぶりは、以前のコラムに掲載した私の事業法人部時代の述懐でも連想頂けるだろう。ただ、少数の市場参加者による参入規制の厳しい業界での競争は、いびつな形を招きやすい。それは、当時の損失補填にみられるような個人投資家層をあまりにもないがしろにした行為に代表されるような発行企業に対する過剰なサービス合戦であり、また市場参加者にとっては都合がいいような形での談合的なものともいえる価格に関する硬直性などが代表例に上げられるだろう。
こうした形のものは、現在において問題解決したといえるのだろうか。私自身は、徐々にではあるが解決に向かっていると考えている。まだまだ完全とは到底言えないが、環境が大きく変わりつつあるからである。旧橋本政権から始まった日本版ビッグバン政策による規制緩和により、多くの証券会社が姿を消す一方、新しい証券会社も多数参入をしてきた。その風穴を開けたのは、私が尊敬する出縄良人氏が率いるディー・ブレイン証券だ。彼は、免許制である1997年に、我が国証券史において昭和43年の免許制採用以来、初めての免許付与を受け業界新規参入を果たした。これは実に30年ぶりの快挙であり、その意味では彼が果たした功績は実に大きい。グリーンシート市場創設を理念に掲げ創業した同社であるが、現在では新興市場における主幹事業務においても活発に引受活動をするなど大きく成長してきている。そのほかにも、近年ではエイチ・エス証券やライブドア証券、また外資系や既存の国内準大手クラスにおいても活発に主幹事業務に参入するなど、発行市場の変化は確実に進んでいるといえる。
こうした動きは、企業IRの動きと密接な関係がある。我が国の場合、現在においても、よくも悪くも企業IRというものが発行市場における担い手である主幹事証券の引受業務の一部であるという事実が厳然と存在するからである。すなわち企業IRにおいても主幹事証券会社から提案され、それを発行企業は引受ける。少し揶揄した言い方をすれば、主幹事業務にIR提案はもれなく付いてくる。こうした動きは、大手証券会社を中心に現在においてもあまり変わってはいない。しかし、今まで無風であった発行市場において、そこに新たな市場参加者が現れ、業界の秩序が徐々に変わりはじめているのだ。
こうした動きを敏感に感じ取っている企業も徐々にではあるが確実に増えてきている。特に最近、IPOしてきている新興企業経営者は、真の企業価値というものに敏感で、その戦略部分の要衝を占める企業IRにおいても受身の姿勢では考えていない。業界の古い慣習に囚われないアグレッシブな彼らの考え方には、新しいIRの時代も予感させる何かがあり、本物を見極める鍵もどうやらその辺にありそうである。
株式会社KCR総研 代表取締役 金田洋次郎
(証券アナリスト・IRコンサルタント)
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