今年に入って証券取引所の話題が絶えない。
春先には村上ファンドが大阪証券取引所(以下、大証)の筆頭株主に踊り出てきた。1年間の利益を内部留保することなく全額配当に回すべき、と村上氏は主張している。
一方、東京証券取引所(以下、東証)も大証に続いて年内の上場を目指していたが、カネボウの上場廃止に端を発する規制監督部門の切り離しで金融庁と対立し上場延期となった。
また8月の衆議院解散後の株式市場の活況を受けて、JSADAQ、名古屋証券取引所、東証と次々にシステムトラブルが発生した。大証においてはヘラクレス市場の出来高増加で春先から新規上場の申請をストップする状況にまで発展している。
今朝の日経新聞1面に「東証、障害防止へ代替施設」の見出しで、他の証券取引所とのシステム連携を検討するとの記事が出ている。
米国ではすでにニューヨーク証券取引所とナスダックはシステムトラブルが起こった場合はお互いにカバーする仕組みを構築しているそうだ。
証券取引所とはどのような存在であるべきか?
資本主義経済の中で企業が自らの事業を円滑に行い成長するために必要な資金を調達する場が資本市場であり、その株式の流通機能を担う重要な役割を果たしているのが取引所である。
いわば資本主義を成り立たせるための必須の器が取引所だとも言えよう。その器がなぜ上場会社として複数存在し、競争しなければいけないのかを考えるべきではないだろうか。
一方で、上場会社の不祥事も後を絶たない。
パブリックカンパニーとしてのガバナンスや適切な開示を行う体制が出来上がっているかどうかは上場の判断基準の異なる各々の取引所が審査すべきではなく、金融庁が東証上場に絡んで出してきたような独立した規制監督部門が組織として存在するべきかもしれない。
とするならば、インターネット環境があれば世界中のどこからでも株式の注文が出せる時代に、全国に散らばって取引所が複数存在する必要もない。極論をすれば、東証の直下に企業のステージ別のマーケットを作ればいいだけのことである。どのマーケットに上場出来るのかは、上場審査を行う独立機関が審査して決めればいいだろう。
そうすれば、現在進行形の各取引所別のシステム投資は半減し、上場基準も統一され多くの投資家にとって透明性が高く効率の良いシステムが出来上がるに違いない。
インターネットの普及と株券の廃止が取引所の統合を促し、最近の外国人持株比率の高まりを見ていると、海外の取引所が日本企業の資金調達の機能を担う日も近い気がしてならない。
株式市場で資金調達する企業は、言葉の壁さえ乗り越えれば、海外の取引所での資金調達も容易になる時代がすぐそこに来ていると考えるべきだ。
国内の取引所は無用な競争にコストをかけるべきではなく、透明性が高く国際的に通用する公器としての取引所創設に知恵を絞ってみてはどうだろうか。
ここのところのシステムトラブルで注文が出せなくて困っていた個人投資家の声を聞いて思いついたことを書き留めてみた。
東京IPO編集長 西堀敬 column@tokyoipo.com
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