強く愛したが故に愛人を殺害してしまった作家の菊治には、法廷言葉や法律では人の気持ちを裁き切れないとの思いが強いようだ。庶民の言葉では、愛欲に狂った男が人妻を殺害した、となってしまう事への違和感もある。
「ライブドアショック」と新聞が書いている「事件」の発端は突飛だった。検察庁が動き出した段階から「犯罪」として報道されていた。だが、この段階の話では、何が犯罪なのかが分からなかった。これがショックの本質だ。
検察の発表では犯罪の立件が困難だろうが、それを「犯罪」とするなら、同様なスキームで企業買収を実行していた企業でも、と不安が高まった。影響の広がりが見えないので、瓜の旬でもないのにウリがウリを呼んだ。
値上がり確実な方法、という表現を耳にすれば、俺も真似をしたいと大概の人はその手法に関心を持つ。そして結論を聞くと十分なリスクを伴ったものである事を理解する。
この種の話で思い出すのは戦後派ならリクルート事件、戦前派なら帝人事件だ。いずれの事件も、当事者は流刑地送りとなって人生を狂わせた。これらの事件の発端は利益供与だった。政治の匂いが漂っていた。もっとも、帝人事件は全員無罪で、「事件」そのものが存在しないという判決で終わった。
その点、ライブドアの場合はいつの間にか、粉飾決算が焦点になって来た様子で、検察もホッとしていることだろう。明らかな犯罪として立件できるところまで事件が成長してきたから。流刑地が見えてきた。
これで、ライブドアは「事件」となり、しかも現状では画期的な事件となる可能性が出てきた。世間の、嫉妬と悪意がないまぜになった毀誉褒貶の要因を抜けば、この事件は結局「公正な証券市場に対する罪」だということになる。摘発の発端や背景が読めない前提ならそう解釈できる。贈収賄以外の罪を発端として、証券がらみ犯罪が検察の手で摘発されるのは大変珍しい事だ。
落ち処が粉飾ならば、事件の波及範囲は限定される。個人株主が多いことによって生じた調整は、いずれ来るものを早めただけに終わる。しかも、日本では公権力が直接的に「公正な市場」運営を保障していることになる。市場立国策だ。この前提なら、IPO市場への影響は容易に人気を取り戻し得る。
日系投資会社在籍 P.N.候鳥(わたりどり) |