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2010年も本日も含めてあと二日となった。

株式市場は本日前後場の全日立ち会いとなり、大納会は大納会なのだが、昔のようにお昼で終わって三々五々に帰路につくと言う兜町の風物詩的なものがなくなってしまった。

物事の終わり方が変わってしまって1年の締めがなくなってきたように感じる。

しかしながら金融の世界はいまやグローバルにシームレス化してきており、日本のように年末年始4日間も休場となる金融市場は存在しない。

その意味では12月31日が年末日だからと言って世の中がいったん終わり、また新年から始まると言う日本的な物事の考え方では世界の金融市場で闘うにはふさわしくない思考であるともいえる。

そして金融市場を見ると、世界中の株式市場が年末にむけて堅調な動きをしている。 

クリスマスからニューイヤーを迎えるまでの期間は穏やかであって欲しいと望む人々の気持ちをそのまま反映しているように思える。

そのような気持ちとは裏腹に為替市場においては緩やかに円高ドル安が進行している。 

ドル円為替レートが82円台に突入した9月15日に日本政府は為替介入を実施した。 

そして今週に入って81円台に突入しているが野田財務大臣の口先介入さえ行われていない。 

また世論も円高に対する危機感を声高にするようなメディアの報道も一切行われていない。 

ほとんどの事業会社は昨日もしくは本日から年末年始のお休みに入っているところが多く、今頃は帰省中もしくは海外・国内の出先という方も多いに違いない。

そんなときに円高で先行き厳しい経営環境になる、なんて言われても困るはずだ。 メディアも国民の休暇中はできるだけ臭いものには蓋をして時間の経過を待つということではないか。

このように年末年始の期間くらいは物事を先送りしても体制に影響はないと考えられるが、そもそも論を何年間も先送りしてきた日本の政治のツケはどこかで政治家ではなく国民が払わされることになるに違いない。

2011年の日本国の運営予算は92兆円となることが閣議決定された。 

この先1年間に使う額を先に決めて、後から収入を考えると言う、後先逆の思考で予算が決められるようになって久しいのではないだろうか。

ここ2年間は景気の低迷もあって税収が落ち込み使う方は予定通り使う(マニフェスト通り)から借金がおのずと大きくなってきたのである。

来年に関しては、2010年よりも税収が増える算段をしているようだが、それでも国債の発行が44兆円と大きな額になる。その国債44兆円の内訳として38兆円が過去に発行した国債の返済原資と言うから恐ろしい。

個人や事業会社であれば、借金の返済のために借金をして、まだ生活や事業の運転資金が足りないから借り増しさせて欲しいと銀行に頼んでも通る理屈はどこにもない。

きっと自己破産もしくは破綻の烙印を押され再起不能に陥るのがオチではないか。

だが、国とはそんな常識外のことをできるオールマイティカードである国債という札を持ち、そして最悪の場合、その国債を買い取らせる先として日本銀行と言う公的な機関を保有している。

しかしながらこの仕組みもいつまでも続けられるはずがない。いずれ歯車は止まらざるを得ない。

いまこの記事を書いている最中にドル円が81円台前半に入ってきた、そして日経平均株価は100円以上急落している。日本の金融市場の参加者は日本人だけではないということである。

世の中の仕組みを一国で片付けることができる時代は終わり、世界がひとつになる時代が今まさにやってきたのではないか。

いまからおおよそ150年前の1853年に米国の東インド艦隊艦船が、日本の江戸湾浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)に来航した。江戸幕府は開国を迫られて日米和親条約を締結してしまう。そしてその後12年を経て1967年には遂に大政奉還が実施されたのである。

今の時代に当てはめると、TPPやFTAなどの締結がまさしく開国や否やの議論であろう。

政治家いや政治屋が選挙選挙とほざいている間に日本を除くアジア諸国は着々とグローバル化に対応し経済基盤を盤石にしている。

取り残された日本はいつ動くのか? 

動けぬ政治家をみるにつけ、いまの政治は末期の江戸幕府そのものようにみえるのは私だけだろうか。

そんな今の日本を救う救世主は現れるのか?

本日の日経新聞のコラム「大磯小磯」で「龍馬を待つのはやめよう」と書かれているが、それはその通りだと私も考える。

しかしながら、龍馬的な思考の持ち主が多く現れることは何よりも大事ではないか。

世の中を変えて、世界の大海を巡りたい。 当時は野望であったが、今の時代は海外に出て行くことなど今すぐにでもできることである。

いつでも行きたい時にいける故に海外志向が若者に無くなってきたのかもしれないが、それでは思考が内向きになってしまう。

いま国家がなすことは、小手先のバラマキで国民のご機嫌伺いをすることではなく、国民に危機感を伝え、10年後、20年後に日本がどのような国になるのかの議論が活発に行われるような仕組みと制度を構築することではないか。

1960年代は日米安保で大学生が火だるまになって国家権力と戦い日本の先行きを案じた時代であった。

そんな時代を生きた人々はまさに団塊の世代で社会の一線から次から次へと身を引いている。ここからイザコザなど起こして欲しくない、老後はできるだけ穏やかに過ごしたいと考えているに違いない。

しかしながら歴史は巡るはずだ。

2010年、その兆しは芽生えてきているのではないだろうか。
そして2011年の今頃にはその兆しが徐々に形になってくるような気がする。
2011年がどのような年になるのか年始にむけてじっくりと考えてみたい。

東京IPO編集長 西堀敬
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