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<第1部>

プロローグ

1999年12月東京

約束の時間の8時にすでに15分遅刻だ。師走の東京は何処も渋滞していた。地下鉄に乗らず、タクシーに飛び乗った自分の浅はかさを呪った。いったい何年この街で暮らしてきたのだろう。道路をところ狭しと埋め尽くす車の赤いテールランプが憂鬱の波となって慎介の心に押し寄せて来た。街はクリスマスの化粧を纏い、人々に誘惑の眼差しを投げかけているが、長引く平成不況で、その華やかさにはどことなく陰が寄り添っているように見えた。車は人々で混雑する六本木の交差点を通過し、溜池方面への下り坂に入るとようやく流れ始めた。通りの真上を覆い被さるように首都高速が走っている。高速道路の橋桁の真下の車線に入ると車は息を吹き返し速度を速めた。前方右手には師走の夜空を貫く墓標のように、高層のオフィスビルが姿を現した。多くの有名な外資系の金融機関が入った都内でも屈指のインテリジェントビルだ。慎介はふと12年前、大学を卒業してこのビルに東京支店を構える欧州系の銀行に入社した時のことを思い出していた。坂を下りきった所で、車は更に右の車線に入り、高層ビルの前を通過し、右折のウインカーをあげるとその先にある航空会社が経営するホテルに鼻を突っ込むように滑り込んだ。右にカーブするスロープを一気に駆け上がりドアマンの待つ、2階の正面玄関の前で停車した。支払いを済ませて、慎介は足早にロビーへ急いだ。ホテルのロビーは多くの人で賑わっていた。携帯電話で噂話をして時間を潰しているOL。ベルボーイに案内されてエレベーターホールへ向かうウォール街の金融マン風の外人客。怪しげな雰囲気の会社役員と思しき中年男性と20代くらいの派手なミニスカートをはいた女のカップル。お茶会帰りの和服姿の女性のグループ。サングラスを掛けて、派手な服装をした遊び人風の若い男。種々雑多な人また人。ロビーのフロアは2階分が吹き抜けになっていて、3階から2階にかけて人工の滝が施されている。慎介はロビーの雑踏をくぐり抜け、滝の脇にある上り用のエスカレーターを駆け上がった。3階のフロアからは2階のロビーの雑踏が見渡せた。慎介はエスカレーターから降りると、右手奥にある中華レストランに歩を進めた。入り口の横には、講演者がスピーチの原稿を置くような人の胸の高さ位のお決まりの小さなテーブルが備え付けられており、黒服のボーイが予約を確認して、お客をそれぞれの予約された卓へ案内している。
「今晩は、8時に予約しました朝岡です」
「お待ち申し上げておりました。お連れ様皆様おみえになっております。」黒服は赤いチャイナドレスを着たウエイトレスに「『翡翠』のお客様です」と告げた。女は慎介を予約の個室『翡翠』に案内した。先にたった女はドアを軽くノックして開くと、一歩下がって慎介を中に通した。
「お連れ様おみえになりました」
一歩足を踏み入れると、中には見慣れた顔ぶれがあった。
「ごめん、ごめん、30分も遅刻してしまって。途中、渋滞にはまっちゃったもんで」慎介は腕時計を覗きこみながら円卓の一同に謝った。
「慎介、幹事が遅刻するなんて相変わらずだなおまえも」学が揶揄した口調で言った。
「本当に申し訳ない。学、今度この『借り』は返すからさ、許してくれよ」
「由右子ちゃん、どうする?」
「学さん、慎介さんのことあんまりいじめたらかわいそうよ」
「慎介、おまえは本当に幸せな奴だよな。女性はいつも慎介サイドさ」
一同はどっと笑った。慎介もはにかみながら笑いの輪に加わった。
年長の槙原が一同を執り成すように口を開いた。
「まあ、慎介もなんとかこうして俺達に顔を見せに来ることが出来た訳だし、とにかく再会を祝して乾杯しよう」 それからの小1時間は慎介にとって久しぶりの癒しの一時であった。緊張から解き放たれ、食事を、酒を、会話をこんなに楽しんだのは何時が最後だったのだろうか。 最後にデザートのタピオカ・ミルクが運ばれてきた。その瞬間、一同の談笑が途絶え、深い沈黙が到来した。
遠くを見る様な悲しそうな目で学が呟いた。
「もう、あれから1年か」
「おい、学」槙原が制するように学を睨んだ。学は気不味そうに膝の上に組んだ手の甲に目を落とした。
「槙原さん、いいんですよもう。それに今回は姉の1周忌も兼ねたつもりですから。ねえ、慎介さん。」同意をもとめて由右子は慎介の方に向いた。

由右子の姉の菜緒子と慎介は結婚を約束していた。慎介が初めて菜緒子に会ったのは今から8年前に溯る。慎介は27歳の時、勤め先の銀行の経営幹部候補生研修の選抜メンバーとしてニューヨークのコロンビア大学のビジネススクールに留学した。初日のオリエンテーションの席で、隣席したのが菜緒子だった。菜緒子の父は日本の財閥系商社に勤める生粋の商社マンで、菜緒子は小学4年生の時から海外を転々としてきた。その関係で菜緒子は高校・大学とアメリカの学校に進学し、大学卒業後は帰国せずに、ニューヨークのウォール街に自分の行き場所を求めた。新卒採用でメリル・リンチ、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレーと並び称される4強の一角のリバティー・ワンに入社し、3年の下働きをした。ウォール街の荒波は高く、次のステップにのしあがる為にはMBAが最低の条件である事を実感するまでに2年を要した。 コロンビア大学での生活が始まった当初は、日本の大学出の慎介にとって、アメリカのビジネススクールのカリキュラムはある種のカルチャーショックであり、強烈なボディブローのようでさえあった。終りのないリーディング・アサインメント、レポート、試験が繰り返された。慎介は日本の大学教育の甘さ・いい加減さを今更ながら恨めしく思った。クラスにいる日本人は菜緒子と慎介の2人だけだった。2人はよく図書館で一緒にレポートに取り組み、カフェテリアで将来の夢や希望について語り合った。1学期が終わる頃には、2人は互いに尊敬しあい、いろいろな事を相談出来る無二の親友となっていた。ビジネス・スクールでの2年間は瞬く間に過ぎ去り、その後、慎介は東京に戻り、菜緒子はリバティー・ワンのニューヨーク本社に復職し、エクイティ部門に配属された。その約1年後に、リバティー・ワンは東京のエクイティ(株式)部門を強化する為に、ニューヨークのスタッフ数名をプロジェクト・チームとして東京に送り込んだのであった。菜緒子はそのプロジェクトチームの一員として選ばれた。慎介も帰国後、暫く雇い主である欧州系銀行にご奉公した後、年季が明けるのを待って、スイス・インダストリアル・バンク東京の投資銀行部門に転職したのであった。その後、菜緒子と慎介は学友として、また同じ金融に身を置く仲間として、時々会うようになった。

クリスマス・イブの夜だった。時計の針が11時を回る頃、慎介はようやく翌日のプレゼンで使う資料の数字の確認作業を終え、開いていたエクセルのスプレッドシートを閉じた。コンピューターのモニターの電源を切ろうとしたその瞬間、モニターの左上隅で新しい電子メイル到着のアイコンが点滅した。イブの夜にまだ働けって、ここの拝金主義者達は、自分の葬式の香典も自分で数えないと気が済まない奴等ばかりだ。糞ったれ。慎介は悪態をつきながらメイルを開いた。
【まさか、このメイルをこの時間に見るとは思わないけど、いたら電話頂戴。菜緒子】
思わず慎介は苦笑して、受話器を取って、外線のボタンを押し、8桁の数字を打ち込んだ。数回の呼び出し音の後、受話器の向こう側から「Liberty One, Tokyo, Iino speaking(リバティー・ワン東京、飯野です)」仕事用の声だ。 「This is Woman Social Security Association. We would like to help poor girls who are spending lonely Christmas Eve(こちらは女性社会保障協会の者です。当協会はクリスマス・イブを1人淋しく過ごされているかわいそうな女性の救済をしております。)」
「What? あっ、慎介ね。からかって人が悪いんだから。あなたも仕事なの? クリスマス・イブなのに。冴えないわね」
「お互い様。よかったら今から夕食でもどう?」
「でも、こんな時間よ。まだやっているレストランあるかしら」
「西麻布界隈だったらまだやっているところも2・3軒あるよ。ほら、前に1度行ったイタリアン・レストランなんてどう? すぐに予約いれるよ。もう出られるんだろう」
「ええ」
「じゃ11時半にレストランで」
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