TOKYO IPO スマホ版はこちら
TOKYO IPOTOKYO IPOは新規上場企業の情報を個人投資家に提供します。



第1部

第2部
     


なぜ今、コモディティなのか?

女性のライフプランと公的年金

運用を取り巻く環境を考えよう

オンナのマネースタイル

■資産運用ガイド
いまさら聞けない株式投資の基本


意外と知らない?!投資信託の基本


試してみたい!外国株の基本


慣れることから始めよう外貨投資の基本


お金持ちへの第一歩 J−REIT


アパート・マンション経営


IPO最新情報や西堀編集長のIPOレポート、FXストラテジストによる連載コラム、コモディティウィークリーレポートなど、今話題の様々な金融商品をタイムリーにご紹介するほか、資産運用フェア、IRセミナーのご案内など情報満載でお届けしています!
東京IPOメルマガ登録


IPOゲットしたい!口座を開くならどこ?
FX(外国為替証拠金取引)ってなに?
FX人気ランキング
知らないと損しちゃう!企業の開示情報



第3章

1997年1月 東京

スイス・インダストリアル・バンクとリバティー・ワンは予定通り、1月1日付けで正式に合併した。新社名は『ユナイテッド・リバティー』と命名された。昨年後半から合併促進委員会なるものが両社の代表メンバーで構成され、東京も含めグローバルに組織改定が進められた。2社の間で重複する部門では大幅なレイ・オフが繰り広げられた。合併委員会のメンバーは社員の間で『首狩り族』と皮肉られ、恐れられていた。慎介の所属するスイス・インダストリアル・バンク投資銀行部もリバティー・ワンの投資銀行部と一緒にされ、約3割のスタッフが首狩り族の洗礼を受けたのであった。投資銀行部長のポストには旧スイス・インダストリアル・バンクの投資銀行部長ダニエル・マイヤーが就いた。新投資銀行部は総勢25名、その内訳はスイス・インダストリアル・バンクから6名、リバティー・ワンから19名であった。元々旧リバティー・ワンの投資銀行部のほうが、スタッフの数はスイス・インダストリアル・バンクよりも多かったのだ。多数派のリバティー・ワン出身者に囲まれてマイヤーにとっては大変厳しいスタートとなった。その他の部門も同様に組織改定が進められた。新体制は、投資銀行部門を核に、エクイティ・キャピタル・マーケット部、金融商品開発部、M&A部、債券部、プロジェクト・ファイナンス部がそれぞれ独立した部門として投資銀行部に商品を提供するフレーム・ワークになっていた。槙原はM&A部のヘッドとして続投する事になった。スイス・インダストリアル・バンクのプライベート・バンク部門は何の影響もなく、そのままの形で残された。リバティー・ワンの東京のオフィスは大手町に新しく出来たオフィス・ビルに1年半ほど前に引っ越したばかりだったが、今回の合併で、スイス・インダストリアル・バンクの入居する恵比寿の『シティ・スクエア』に引っ越すことが決まった。菜緒子の所属するエクイティ部もスイス・インダストリアル・バンクの同部門と統合されエクイティ・キャピタル・マーケット部となったが、東京ではスイス・インダストリアル・バンクのほうが歴史も長く、実績もあった為、当面はスイス・インダストリアル・バンク主導の部門になった。

その年の正月は年々強まるエルニーニョの影響か、暖冬で暖かい日が続いた。3箇日の直後に週末が続いたため、東京の仕事初めは1月6日からだった。慎介は1月2日からオフィスに出ていた。首都圏をカバーする日本最大の電力会社が年末から年初にかけて10年物のユーロ・ドル債券の発行を計画し、1月6日に入札が予定されていたからだ。本当であれば有給休暇を重ねて、カリブ海辺りでスキューバ・ダイビング三昧の日々を送っていたのに。ピナコラーダが慎介の脳裏を過ぎった。慎介は壁に掛かった時計に目をやった。丸い形の時計が4つ壁にかけてあった。その下には都市の名前が『ニューヨーク』、『チューリッヒ』、『ロンドン』、『東京』と標してあった。海外の市場はクリスマスの休暇が長い分、1月2日が仕事初めだ。ロンドンの市場が開くのを待って慎介はロンドンのオフィスに電話をいれた。1月6日の入札の詳細についてはすでに電子メールで連絡済みであった。例年の如く多くの投資家は12月の第2週でポジションを手終い、市場はクリスマスから殆ど休眠状態であった。ロンドンの債券トレーダー達は1月2日の市場がクローズしてみないと新年明け以降の市場のセンチメントについては何とも言えないと声を揃えた。慎介は結局、自宅からロンドン時間がクローズする頃、つまり日本時間の午前0時以降にロンドンの担当者に連絡を入れる事にした。時計は日本時間の午後6時20分だった。慎介は目的の電話番号を求めて携帯電話の電話帳をスクロールした。液晶の画面の上をデジタルの文字が次々に流れていった。電話番号を確認するとデスクの上の受話器を手に取り、その番号をプッシュした。数回の呼出音の後で菜緒子がでた。
「はい、飯野です」
「慎介です。おめでとうございます」
「あら、おめでとう。どうしたのカリブ海じゃなかったっけ?今何処?」
「何処だと思う。」
「まさか、会社なんてことないわよね」
「ご名答、そのまさかなんだよ。東京の電気屋さんがユーロ・ドル債券発行の入札を週明け早々にかけてくるのさ」慎介は現在の状況をかいつまんで説明した。
「冴えないわね」菜緒子のいつもの口癖だ。彼女にかかると何でも冴えなくなってしまう。
「それで、菜緒子は何をしてるんだい」慎介が尋ねた。
「ごらんの通り、休みの午後を有意義に過ごしているわ。妹は彼氏とスキー。パパとママは今ごろ箱根の温泉で2人仲睦まじくってとこかしら」
「それじゃ、今から俺のバケーションに付き合えよ。夕食って事」
暫くの間があいて、菜緒子が答えた。 「いいわよ」
「それじゃ、8時に赤坂のホテル・コロニアルの『パラダイス』でどう」
「OK」菜緒子の声は心なしか弾んでいるように聞こえた。

ビルはもぬけの殻のようにガランとしていた。1階の車寄せにいつもは数台待機している客待ちのタクシーの姿も全く無かった。仕方なく、慎介は道路を隔てて隣にあるオリエンタル・パシフィック・ホテルの玄関先でタクシーに乗った。車は広尾の交差点を抜け、六本木通りを右折した。道路を走る車は殆ど無く、慎介の乗った車はまるでハイウェイを走るように一般道を疾走した。外堀通りに入り赤坂見附の交差点で始めて信号待ちをした。弁慶橋を渡り、車はその先のT字路に突き当ると左折して、ホテルの車寄せを目指した。

ホテルの正面玄関にはお正月用の大きな門松が飾られて、お正月をホテルで過ごす人達がロビーには溢れていた。ここ数年、都内のホテルはどこも『煩わしいおせち料理の準備から逃れてホテルでお正月を優雅に過ごす』というコンセプトのパッケージ商品を販売し、これが一部の主婦達の間でブームになっていた。慎介に遅れてネイビー・ブルーのニットのワンピース姿の菜緒子が回転扉を押してロビーに入って来た。2人は2言・3言の挨拶を交わして、レストランへ向った。
     <<前へ
次へ>>

Copyright © 1999-2008 Tokyo IPO. All Rights Reserved.