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翌日、慎介と由右子はお昼の時にＪＲ恵比寿駅の近くにあるパソコン機器を時間貸している店に行った。その時間帯、お店は閑散としていた。由右子は手袋をするとカッター・ナイフで市田がサインをした手紙から手際よくトレーシング・ペーパーを剥がしていった。最後に消しゴムで便箋についた糊のあとを綺麗に除いた。その間、慎介は本店から取り寄せた請求書をブリーフ・ケースから取り出して、時間借りしたパソコンで同じ文面を打ちこんだ。最後に送金先口座の個所に清水学から貰った市田昭雄の匿名口座番号Ｇ57582633ＦＳＮとタイプした。慎介はそれを1度印刷して、2〜3度間違いが無いか慎重に読みなおした。
「由右子ちゃん、こっちのほうは準備ＯＫだよ」
「そのプリントしたものを貸してもらえます」由右子は試しにプリントした請求書と市田のサインだけが入った便箋を重ね合わせて、サインの位置に問題が無いことを確認すると、慎介の方を見て頷いた。手袋をした由右子が市田のサインの入った便箋を方向を合わせてプリンターの給紙ホルダーにセットした。由右子の合図をまって、慎介は印刷のアイコンをクリックした。便箋がゆっくりと吸いこまれたかと思うと、印字された紙がプリンターの反対側から出てきた。それを由右子が手にとって見た。それは紛れもない市田のサイン入り請求書であった。念の為にもう1枚同じものを作った。由右子は会社から指紋がつかないようにクリア・ファイルに入れてきたユナイティッド・リバティー東京のマークと住所の入った封筒を取り出すと、最初に印刷した請求書を三つ折りにして中にいれて粘着テープを剥がして封をした。次に大亜精鋼の本社住所と財務部長本田千秋の名前が印字されたラベルをバッグから取り出すと、その封筒に貼り付けた。
「慎介さん、これで準備完了です。指紋がつかないようにこのままクリア・ファイルに入れておくから、会社に戻ったら発送用の郵便の箱に入れて下さい」由右子はてきぱきと剥したトレーシング・ペーパーやラベルのカスなど、一切の証拠を別の大きめの書類封筒にいれた。市田のサインの入った残り二通の便箋はクリア・ファイルに入れて慎介に手渡した。
「一切の証拠になるような物はオフィスに戻ってすぐに、シュレッダーして下さい。これは私のほうで処分しておきます」由右子は書類袋を指さした。
「僕のほうは、この本店から来た本物の請求書を処分するよ。もう1部の市田のサイン入りの請求書と残り2枚の便箋は今回の件が終わった時点で全て処分するから。もちろん、取り扱いには細心の注意を払ってね」慎介はパソコンの画面に打ち出した請求書を保存せずにワードを終了させた。
「ところで、学さんが言っていた、川辺真樹さんのサインの件ですが、どうしますか」
「その件は、また学を入れて話をしよう。でも、一体どう言う名目で川辺真樹のサインなんて貰えばいいんだろう」慎介は眉間に皺をよせた。
「何か、きっといい方法がありますよ」由右子は慎介を元気づける様に言った。
その後、2人は人目につかないように別々にオフィスに戻った。
先に発行された転換社債の手取金は7月10日に無事東名銀行本店にある大亜精鋼の口座に振り込まれた。その日の午後に慎介は大亜精鋼の本田財務部長からの電話を貰った。
「朝岡はん、今回の転換社債の手取金が今日振り込まれました。これで東名さんからも融資がおりて、無事に8月には借金が返せます」
「ご連絡有り難うございます。ところで･･･」慎介は本田千秋が8月に返済することになっている転換社債の請求書を受け取ったかどうか訊きたい衝動に駆られた。本田はいつものように慎介の言葉を遮ると自分の用件を話した。
「また、送金の時はどうしたらいいか教えてもらいますわ。それから、返済の請求書もちょうど私のとこに届いたところです」慎介が訊かずとも、本田の方からその件を伝えてくれた。改めて慎介は心の中で焦らないように自分に言い聞かせた。
「ええ、わかりました。今回の送金もいつものように東名銀行さんからですよね」
「そうです。東名さんからあと100億は貸してもろて、都合200億にして送金します。またその時がきたら連絡します」そう言うと本田は一方的に電話を切った。慎介は受話器を置くと暫く目を閉じて考え込んだ。前回の様に本田千秋が東名銀行の送金指示書に全ての必要事項を書いて欲しいと言って来て、それを自分がそれを処理するのを今回に限って避けたかった。本田がアクションをおこす前に事前にこちらから手を打とう。慎介は席を立つと部屋の隅にあるキャビネットまで行って、大亜精鋼のファイルの入った引出しを開けて、中からファイルを取り出した、昨年の夏に、慎介が本田に頼まれて必要事項を記入した東名銀行の海外送金指示書のコピーを抜き出した。慎介はそれを持ってデスクに戻ると、自分の手書きで記入した文字を全て修正液を使って丁寧に消していった。修正液が乾いたところでそれをコピーして、原本はシュレッダーにかけた。コピーした送金指示書の記入が必要な個所に番号を�，�ら�イ泙能颪�込んだ。そのあと慎介はファックスの表書きを呼び出して送金指示書の記入事項と表題をつけて、本田千秋あてのファックスを書いた。
前略、
いつも大変お世話になっております。
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
架電の件でございますが下記の如くご案内申し上げます。
添付の東名銀行の海外送金指示書の� 銑イ泙波峭罎鬚弔韻泙靴人鵑飽焚爾了�項を記入してください。
�〜�金先銀行名:ユナイテッド・リバティー、チューリッヒ本店、
�⊇蚕�:バンホフ通り三五〇、チューリッヒ市、スイス国、
�Ａ�金先口座番号:請求書に書かれた口座番号を記入して下さい、
�ち�金者名:大亜精鋼株式会社、
�チ�金者の住所及び連絡先･電話番号等:御社の住所、及び財務部長の氏名（本田千秋）、財務部の直通の電話番号
以上を東名銀行の送金指示書にご記入下さい。ご不明な点等ございましたら東名銀行の担当者にお問い合わせ頂ければ宜しいかと存じます。
草々
慎介はそれを印刷して大亜精鋼の本田にファックスした。これで本田千秋は200億円の送金について東名銀行の担当者と話をするであろう。慎介は席に戻ると余分に作成した市田のサインの入ったもう1通の偽造請求書をブリーフ･ケースから取り出すと、それをそのままシュレッダーにかけた。慎介は着実に市田への罠の準備が進行していく事にある種の満足感と恐怖感を覚え、身震いをした。
「着実に準備が進んでいるみたいだね」学が言った。
「ああ、お蔭様でね。取りあえず8月5日に、200億円の金が市田昭雄の匿名口座に振り込まれる手筈は整ったが、その後の送金の件がまだなんだ」慎介は川辺真樹のサインがまだ貰えていない事を報告した。
「川辺真樹はなかなかしっかりした子で、彼女にサインを貰うような状況が思い浮かばなくて」
「私もその事はいろいろと慎介さんと考えたんですが、これと言った案が浮かびませんでした」横で飯野由右子も残念そうに言った。
「そうだよな、秘書がサインをするって事はあまり無いよな」学も思案顔になった。
「彼女のサインを真似るってのは駄目かな」
「金額が大きいから必ず筆跡鑑定をするから、駄目だよ。事を確実に運ぶ為には必ず彼女の直筆のサインがいるんだ」学がその重要性を強調した。
「あの方法でカモフラージュの書類はいくらでも出来るのに」由右子は無念さを露わにした。
「そう言えば、彼女、市田の秘書兼、投資銀行部全体の総務的な事もやっているんだ。出張のチケットの手配なんかする時に指定の旅行代理店に出す依頼書に彼女がサインする欄があったよ」急に慎介が思い出したように言った。
「慎介さん、それじゃその依頼書のフォームを手配して下さい」由右子が目を輝かせた。
「それじゃ、その線で川辺真樹のサインはＯＫだな。至急とりかかってくれないか」
「わかった、2・3日中にやってしまうよ」
「僕のほうは慎介が登録した例の市田昭雄の無料Ｅメールを使ってグランド･ケイマンのペーパー･カンパニーを1つネットで購入したよ。もちろん購入者は市田昭雄になっているけどね。ユナイテッド・リバティーのプライベート･バンク部門の決済口座をつかってお金は振込んだから、別に誰からお金が出ているかまでは追求出来ないはずだ」学はその後着々と計画を1人で進めていたのだった。学は話を続けた。
「それから、グランド･ケイマンのペーパー･カンパニーが口座を持つ銀行は地元のインターナショナル・グランデ・バンクという銀行で、既にこの銀行に対して8月5日付けで10の慈善団体に2億円づつの寄付金を送金するように指示をしているから。あとは同日の入金を待つだけなんだ。だから、1日も早く、川辺真樹のサインの入った書類を用意してくれ。それから前に話したように市田の会社のパソコンから川辺真樹に送金指示書のサインをさせた旨を記したＥメールを出してくれ。ファックスだと、本店の担当者から市田本人に連絡が必ず行くし、電話の場合はすべて録音されているから、問題が起きた時は声門検査で本人確認がされるから駄目なんだ」
「わかった、何とかするよ」慎介は学の指示にすべてこたえられるかどうか自信が無かったが、それでも自分に言い聞かせる様に答えたのであった。 |
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