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最上階の社長室の窓からは新宿副都心の高層ビル群が見渡せた。大亜精鋼創業当時の工場の写真と先代の社長から受け継いだ『協調と繁栄』の毛筆で書かれた社訓が重厚な額縁に入れられて厳かに社長の執務机の右側の壁に書けられていた。大澤源太郎は写真と社訓を眺めてはいま大亜精鋼が直面している危機をどう乗り越えたらよいものか思案していた。多角化の一環で始めた電子機器部品の製造部門は当初の投資が重くのしかかり利益をもたらすまであと数年を要した。状況を一気に好転させる為には企業買収しかなかった。本業の鉄鋼部門も業績回復の兆しは見えず、住宅関連の部門が辛うじて検討していたが、大亜精鋼のマーケット・シェアは低く、全体の利益への貢献は今一歩であった。この分野のメーカーの中堅どころを買収して、マーケット・シェアを高める事が出来れば現状から脱出出来る可能性はあった。しかし、いったいどんな手段があるのか、大澤は考えあぐねた。焦りだけが癌細胞のように増殖していく。何としても自分の代で大亜精鋼を潰す訳にはいかないのだ。先代が裸一貫から築き上げたこの大亜精鋼王国を。
デスクの上の電話のランプが点灯した。大澤はハンド・フリーのボタンを指で押した。スピーカーから秘書の声が告げる。
「3時にお約束のニュー・ライフ証券の遠藤様がおみえです」
「こちらにお通しするように」
「かしこまりました」
ニュー・ライフ証券は新進の証券会社で、費用のかさむ従来の店舗営業をやめて、コール・センターを首都圏と比べて人件費の安い沖縄県に設立し、顧客との取引きをすべて電話取引きにするという大胆な発想で約3年前に設立された。証券会社の支店までわざわざ出向いていかなくても株の取引が簡単に家で出来るという便利さがうけて急成長したのであった。リテールを充実させたニュー・ライフ証券は法人営業の部門の拡大を中期戦略に掲げていた。大手の一角であった山川証券の顧客への食い込みに関してはニュー・ライフも虎視耽々と狙っていた。
「ニュー・ライフの法人営業を担当しております遠藤でございます。大澤社長直々にご面談の機会を賜り光栄に存じます」
「こちらの方こそ、ご多忙のところご足労頂き有り難く思っております」
大澤は社長室のコーナーの応接ソファーに遠藤を案内した。応接のテーブル越しに2人は改めて挨拶を交わすと名刺を交換した。
ソファにどっしりと腰を落ち着けると大澤から切り出した。
「ご承知のとおり我が社の主幹事証券会社の山川が潰れて、早急に後任の幹事証券を決めなくてはならないのだが、市場はクレジット・クランチで混乱しており、なかなか顧客の事を親身になって面倒を見てくれる証券会社がないのだよ。正直申しあげると、最大手の大野証券に山川の客だった事業会社は主幹事証券になってほしいようだが、当の大野は高みの見物で美味しいところだけを食おうとしているんだ。我が社としてもこの状況を一緒になって切り抜けてくれる証券会社と新規の取引きを始めたいと考えているのだが」大澤はここで暫く間を置いて、獲物を狙う豹のように遠藤を見据えて続けた。
「我が社の主幹事を御社にお願いしたいのだが、どんなもんだろうか」
遠藤は感極まって上ずった声で答えた。
「有り難うございます。御社のような歴史のある会社の主幹事に任命されることはニュー・ライフにとって大変に名誉なことでございます」
「それでは引き受けて頂けますかな」
「もちろんです。ただ」遠藤がちょっと言い淀んだ。
「ただ、何でしょうか」大澤が追い討ちを掛けるように訊いた。
「いったん、社に戻りまして我が社の社長はじめ役員会に報告をしませんと・・・…、いずれにせよ改めまして当社の然るべき者とご挨拶にお伺いします」
「わかりました」
大澤はかなりの手応えを感じ、ミーティングの成り行きに満足していた。話を終えると大澤は遠藤をエレベーター・ホールまで見送り、社長室のデスクに戻った。デスクの後ろのサイド・ボードの上に置かれたヒュミドーからお気に入りのキューバ産の葉巻『パルタガス』を1本取出すと吸い口を専用のカッターで切り取りマッチで火を点けた。葉巻の香りが部屋中に漂った。大澤の張り詰めた神経を葉巻のアロマが心地よく解きほぐしていく。
デスクの上の電話の赤いランプが再び点灯した。大澤がボタンを押してハンド・フリーで電話に出た。いつもと変わらない秘書の声が告げた。
「ユナイテッド・リバティーの清水様からお電話が入っておりますが」
彼女は従順に大澤の指示を待った。
「ああ、つないでくれ」
「かしこまりました」
暫くの間があって電話の回線が繋がった。
「ユナイテッド・リバティーの清水でございます」
「ああ、大澤だ」
「今宜しいでしょうか」学は大澤の都合を聞いた。
「ああ、構わんよ」
「実は弊社のエクイティ・キャピタル・マーケット部の部長をしております市田昭雄が大澤さんの推薦でと言って私共に口座の開設に来られたのですが」
市田はユナイテッド・リバティーの人間であり、また大澤の個人的な紹介者ということもあり、大澤の前で学はどのように敬語を使い分ければよいのか困惑した。
「確かに市田さんにプライベート・バンクで口座を開設することをお奨めしましたよ。何か問題でも?」
「いえ、別にそうではありません」
「では、どのような用件ですかな」大澤は多少苛立ちを込めて言った。
「ええ、実は市田さんは匿名の口座の開設を要望されまして…」
「ああ、それなら私が市田さんにそうしろと奨めたのですよ」
「しかし、大澤さん、当行としましては匿名口座はごく限られた特定のお客様にしか提供していないものでして…」学は大澤の反応を見守った。
大澤の声が攻撃的なトーンに変わった。
「私はその特定の顧客に分類されているわけですな」
「はい、もちろんです」
「ではその特定の顧客からの要望であれば多少の無理はきいて頂いても宜しいのではないですか」
「本件については私の一存では何とも…」学は言葉に詰まり始めた。
「私も数10億にのぼる金をおたくに預けてあるはずだが…」
大澤は意味深に間をおいた。
「私の要望が通らないのは大変遺憾なことです。またどこか居心地のいい銀行を探さなくてはなりませんな。それに私は大切な友人を何人かおたくの銀行に紹介もしている。私は彼らに何と言えばいいのでしょうね」
大澤の声は大変優しいトーンに変わったが、言っていることは脅文句であることに変わりはなかった。
「私が清水さんの立場ならば採るべき選択肢は1つしかないと思いますが」
いつも冷静沈着な学も流石にこの時ばかりは焦った。ユナイテッド・リバティーのプライベート・バンクにとって上得意客である大澤がまるで相手を威嚇する虎さながらに牙を剥いてきたのだった。
「早急に上の者と相談してご連絡致します」
「ええ、わかりました。よい返事を待っていますよ。清水さん」

学は受話器を戻して深くゆったりと体を預けるようにデスクの椅子に座り直した。長いため息をつくと軽く目を閉じて、泥沼に両足を突っ込んでしまった自分の境遇を呪った。何れにせよ学の一存で決められる問題ではなかった。気を取り直して学は上司のハンス・グートの部屋に向った。プライベート・バンク部では社員1人1人に個室があてがわれていた。長い廊下の左右に5つずつガラス張りの小部屋が配されていて、廊下の1番奥の向って右側にハンス・グートの部屋があった。グートは電話中であった。学が廊下側からガラスの扉をコンコンと人差し指の背で叩くと、グートが部屋に入るように手招きした。グートは受話器を右耳にあてたまま、デスクの前の椅子を学に勧めた。電話が終わるとグートが言った。
「清水君、何かね」
「はい、実は大亜精鋼の大澤社長のことですが」
学は先ほどの大澤との電話でのやりとりを詳細にグートに報告した。
「それでは大澤は私たちをブラック・メール(恐喝)しているのではないかね」
グートは怒りで顔を紅潮させて言った。
「そういうことになります」学が落ち着いた調子で答える。
「それで大澤の預かり資産は現在どのくらいあるのかね」
「いろいろな金融資産に分散投資されています。現在の市場価格でざっと見積もっても50億円はくだらないでしょう」
「大澤から紹介された客はどうだね」
「全部で7人です。皆大口の上客です。預かり資産はばらつきがありますが20億から50億円の規模です」
「すると大澤を含めて合計で200億円を上回る額になるわけだな」
「そうなります」
「競争が激しいこの時期に200億円にのぼる顧客を失うのは致命傷になりかねない」
グートは自問自答するように言った。その後の数秒間はいつも学の最も嫌な瞬間だった。答えはわかっている。1番やりたくないことをするのだ。しかし、もしかして万に一つでも上司が逆の指示を出すこともあるだろうか?
「グートさん!」学が緊迫感に耐え切れず思わず上司の名前を口にした。
「清水君、市田の匿名口座の開設の稟議書を至急作成してくれ」
「は、はい」そう、万にひとつはありえない。
「それからこのことは私から直接市田に話をするので、君のほうは事務手続きを含めた裏方の仕事に徹してくれないか」
「わかりました」こうやって老成していくのだ、と学は思った。
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