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インドネシアの子会社の問題が発生してから1年以上が経過していた。大亜精鋼はその後現地の労働組合とは友好な関係を築き、マスコミからの累積債務に関する疑惑の報道も沈静化したが、市場全体の地合とアジア経済危機の余波から会社の業績もあまりぱっとせず、株価は低迷したままであった。市田と大澤が共謀して発行した転換社債は全く転換される事なく残存していた。市田は例のマニラの偽装ひき逃げの件で大澤に急所を握られてしまい、まるで奴隷のように大澤の言いなりになっていた。大澤は秘密をネタに市田から株式に関するインサイダー情報を引き出しては、株の売買で確実に利益をあげていた。特に大澤が気に入っていたのは公開買付が予定されている会社の株式を事前に購入して、公開買付の発表直後に売り抜けるパターンだった。大概の場合、公開買付が発表されるとマーケットは敏感に反応して1・2日、株価は上昇した。その他にも発表される前のアナリストが書いたコメントやM&A関連の情報を市田から聞き出して、短期売買で着実に利益を得ていた。
市田は自分のデスクで取締役会に年末までに提出しなければならない1月から12月までの東京の投資銀行本部の業績に関するレポートの原稿を読んでいた。その時デスクの上の電話がけたたましく鳴った。市田は受話器をとって電話に出た。
「市田ですが」
「大亜精鋼の大澤です。市田さん先日の『フード・エンポリアム社』では一儲けさせて貰いましたよ。有り難うございます」
市田は電話に出てしまった事を後悔していた。
「いや、とんでもない。あのぐらいの事ならお安いご用ですよ。ところで大澤さん今日は何か?」
「ええ、特別に何かあって電話しているわけではないのですがね。ご案内の様に我が社の株価もその後一向に上がる気配も無いんで。一体どうしたものかと思いましてね。ここは1つ株のプロの市田さんに相談するのが得策ではないかと思いお電話したのですよ」
「大澤さん、そうは言いましても、市場全体もこの地合ですしね。御社の業績のほうも今のところ急速に好転するような材料は無いでしょう」市田はやや控えめな態度で言った。
「市田さん、それは確かにおっしゃる通りです。ただ、私がお願したいのは、せめておたくのアナリストの方に多少贔屓目な見方をして頂ければと思いましてね」
大亜精鋼を担当していたアナリストの中西圭太はあの自殺未遂事件を契機にユナイティッド・リバティー・バンクを退職していた。それ以来、中西圭太の後釜を見つける事が出来ていなかった。
「大澤さん、我が社には御社をカバーする肝心のアナリストがいないんですよ」
「それでは早晩ひとり補充されないといけませんな」大澤は事も無げに言い放った。
「元御社を担当していたアナリストが自殺未遂事件を起こしてから、悪い噂がたって新しいアナリストがわが社に寄り付かないんですよ」市田は悲鳴にも似た口調であった。
「まあ、そこは百戦錬磨の市田さんのお力でなんとかなるでしょう」
「大澤さん・・・」市田は今にも炸裂しそうな怒りを噛み殺すのに必死だった。そんな市田の気持ちなど解せず大澤は言葉を継いだ。
「市田さん、今年も後少しで終わりますし、忘年会をかねて一度夕食でもしましょう。またいろいろと資産運用のアドバイスも頂戴したいと思っていましたし。日時については秘書から連絡させますので宜しく」大澤はそう言って一方的に電話を切った。市田が手にした受話器からは『ツー』という音だけが虚しく響いていた。

飯野由右子から菜緒子の書き綴ったEメールを貰ってから、慎介は市田に対する疑惑と憎悪を顔に出すまいと必死になって自分を押し殺していた。事の真相を暴き、市田に復讐するまでは決して自分の気持ちを曝け出すまいと心に固く誓ったのであった。ある時、市田と一緒にある製薬会社の財務担当役員に会いに行った帰りのタクシーの中で慎介は市田と2人して後部座席に座っていた。手を伸ばせば自分のフィアンセを死に追いやった憎んでも憎み足りない復讐の対象がそこに居ると思っただけで、慎介は市田を殴りたい衝動に駆られた。慎介のそんな葛藤の日々は続いた。菜緒子の存在が消えてしまってから1年近く、季節が移り変わった記憶はまるでなかった。ただ毎日仕事に行き、ディールからディール、ミーティングからミーティングへと、機械的な繰り返しの感覚だけが抜け殻の様に残り、順々に風化していった。事実の持つ本当の意味はなるべく考えないようにして生きてきた。それでも、彼女が存在していた空間で1日の大半を過ごすことは嫌でも色々なことを思いおこす羽目になった。視界の先に菜緒子と似たような背格好の女性を見るたびに、はっとして立ち止まった。彼女と出かけたところはなるべく避けて通った。せめてもの救いは会社で菜緒子との関係を知る人がごく限られていたということだった。それでも、どんなに自分では考えないようにしようとしても、自分を取り囲む何もかもが重い鍵をこじ開ける手助けをしようとした。一番応えたのがシェリーが、週末になると菜緒子を捜しているのがわかった時だった。慎介がリビングにいても、家中をうろうろしてはニャーニャーと鳴き、疲れると玄関で誰かを待つような仕草をした。菜緒子がよく座っていたいすにのって、慎介を避難するような目で見つめたりした。「彼女はどこへ行った?」と問いただされているような気がして一番やりきれない瞬間だった。
 
3ヶ月ほど経った頃、心の痛みは過去に癒えたはずの別の痛みをも引きずり出して、「さあ、考えろ!」「事実を見ろ!」と迫ってくるような気がし始めた。昔も子供なりに心に痛みを抱えて生きていたことがあった。その時はまだ十分に子供だったために、それは誰か他の人が一生懸命に治してくれる類のものだった。
 
慎介の父は大手の海運会社に勤めていたので、慎介が3才の時には家族でドイツのハンブルグに住んでいた。その後、家族はサンフランシスコ、シンガポールと転勤を繰り返したが、慎介は中学受験、高校受験と重なり、茅ヶ崎に住む母方の祖父、辻村綱太郎のもとに預けられた。小学生の慎介にとって家族と離れて暮らす事は辛かったが、祖父の家の隣には中国人の貿易会社社長の陳一家が住んでいて、慎介より1歳下の1人っ子の男の子チャーリーが、妹しかいない慎介にとっては弟のように仲のよい遊び相手であった。チャーリーは生まれつき体が弱く、いつも咳き込んでは薬を飲んでいた。チャーリーが父親の仕事の関係で日本を離れる事になっても、2人でここ茅ヶ崎にいよう、と硬く約束した。ある夏、慎介が家族の住むサンフランシスコで1ヶ月ほど夏休みを過ごして、チャーリーにお土産を買って茅ヶ崎に戻ってくると、チャーリーはいなかった。新学期が始まる前に近くの浜辺でバーベキューをする約束をしていたのに。祖父の綱太郎に聞いても、チャーリーの母親に聞いても、チャーリーは今、病院で検査を受けているからしばらくは戻って来ない、という曖昧な答えしか返ってこなかった。新学期が始まっても、チャーリーの姿は見えなかった。ある日、メイドのメイが、悲しそうな顔をして、「坊ちゃんはもうじきかえってくるよ」といってクッキーをくれた。しかし、秋になっても冬になってもチャーリーは帰ってこなかった。翌年の春ごろに、祖父からチャーリーは白血病で夏の終わりに亡くなっていたことを聞かされた。チャーリーの両親と綱太郎が話し合って内緒にしていたのだ。子供だから時が経てば忘れると思ったのだろう。つらい思いをする孫の姿を見たくなかったのだと。その後何年もそんな大人達の企みを慎介は恨んだ。きっと何か大事なことがあったはずだ。最後になにか大事なことを伝えなくてはならなかったのに。なんのセレモニーもなくふっと消えてしまったチャーリーの存在はいつまでも慎介の心から消えなかった。
20年以上も前に自分がどうやってその事実に終止符を打ったのかは覚えていない。きっと処理出来ないまま封印してしまっていたのだろう。その後、その出来事を思い出したのは、大学院を選ぶ時だけだった。チャーリーは父親から聞いたアメリカの話をよく、慎介にしていた。チャーリーが特に好きな町がニューヨークだった。チャーリーはよく大人になったらニューヨークに行くと口にしていた。自分はチャーリーが夢に見たニューヨークに行こうとしている。そして、そこで菜緒子に出会うことになった。
 
最初のオリエンテーションの日に2つ隣の列に座ろうとしている菜緒子を見て、懐かしいような気持ちになった。その時のことだけはストップ・モーションでこま送りにした画像のように鮮明に細部まで記憶している。その後はあまりの勉強の忙しさに何もかも忘れてリーディング・アサインメントと格闘する日々の連続だった。女の子とデートする、なんてことは全く考えられない日々が続いた。それでも、菜緒子と2人でレポートに取り組んだりして、時間を共有することが慎介にとってはほっとする瞬間だった。
 
封印していた過去の傷は取り出してみればなんの劣化もしていない生々しい記憶として再現された。チャーリーのことが菜緒子の記憶と双子のようにくっついて、アメーバの様に増殖する不思議な物体に成長しようとしていた。このまま何年も鍵をかけてしまって置いたところで、風化することなく、心の隅から静かに時間をかけて慎介をむしばんでいくことは確かだ。今度は誰もめんどうなんか見てくれないんだぞ、自分でなんとかするんだ。この問題を真正面から目をそらさずに見ていくしかないんだ。
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