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東京IPO特別コラム:「日本を取り巻く安全保障リスク その1」

日本の安全保障に不可欠なものといえば日米同盟であることは、万民が認めるとことであろう。その日米同盟も1951年の締結から70年以上の月日が流れ、当初の仮想敵国・ソ連も消滅した。そこでまずは、今日におけるメリット、デメリット(リスク)を振り返り、日本近辺の有事リスクを考慮しながら、その有用性について今一度見直してみたい。

日米同盟のメリット
1.世界最大の軍事国家が日本の安全にコミット

この点は、締結当初から変わらない。他国が日本を攻撃した場合、アメリカが相手国への攻撃を行い、日本の安全にコミットするという取り決めが、日米同盟の本質であるからだ。現行の憲法では、自衛隊は、文字通り自衛行為しか認められていない。いくらか「自衛」行為に拡大解釈が見られても、現状日本が攻撃を受けた場合、攻撃国へ自衛隊を派遣し、その軍事施設を破壊し、攻撃国の主要政府機能を制圧する等の行為は行えない。ひたすら、自衛隊は攻撃国のミサイル、戦闘機、空母等が日本領空、領海に入ってからのみ攻撃でき、日本国民及び、在日米軍の拠点を守ることしかできない。

そのため、攻撃国からの攻撃そのものを現地に行って止めるという行為は、日本ではなく、米軍が行う、という筋書きなのである。よって、自衛隊は日本領域を防衛する以上の軍事力が求められず、世界最強の軍事力を誇る国が、攻撃分の負担を一方的に負う。さらに、アメリカが第三国に攻撃されても、日本にはアメリカを防衛する義務はない。

なぜこのような仕組みになっているかといえば、もちろん締結当初、日本は第二次世界大戦で敗北し、無一文に等しい上、同盟国・アメリカの仮想敵国・ソ連のアジア側での唯一の不凍港、ウラジオストックに近い戦略的な位置にあるため、日本をアジア側のソ連封じ込め政策の主要後方支援拠点として守りつつ、有事となれば日本から米軍が攻撃に転じる体制が、現実的かつ最も有効な応戦体制だと考えられたからである。(逆に、共産圏以外からアメリカが攻撃されるという想定はあり得ず、わざわざ日本にアメリカを守ってもらいたいというような発想は誰も持っていなかった。)

もちろん、冷戦終了時に仮想敵国・ソ連が消滅したのだから、この同盟を廃棄もしくはより平等な形に変更するよう提案もできただろうが、当時は向かうところ敵なしだったアメリカに、より平等な同盟は必要なく、また敢えて廃棄する理由もなく、アメリカの世界への影響力を維持する装置(例えば、ベトナム戦争、イラク戦争時のように、在日米軍基地は、戦地へ向かう米軍の主要後方支援基地として大いに活躍した。)として、今日まで日米同盟は機能し続けている。その一方で、日本は戦後から第二次安倍政権まで、防衛費をGNPの1%以内に抑え、その分経済面に国家予算を割り振ることができた。すなわち、Win-Winの関係である。

とはいえ、日米同盟という紙面上の約束に、どこまでアメリカの拘束力があるのだろうか。100%アメリカを信用して、本当に日本は全く攻撃力を備えず、「専守防衛」に専念していてよかった、あるいはいいのだろうか?

少なくとも、冷戦期には答えはYesであると言っていいだろう。当時アメリカの対ソ戦略は、封じ込め政策である。共産主義という、その伝染力を侮れない「病気」を既に「感染」してしまった国々のみに「封じ込」め、感染拡大を防ぐということだ。軍事面はもちろん、道義面でも、アメリカは自由を守る「正義のヒーロー」役を演じるという決意があったため、世界のどこででも共産主義と戦う準備はあった。特に、同盟国と認定している国にはそうであったと考えられる。なぜなら、ある同盟国を切り捨てることとなれば、他の同盟国の動揺が広がることは確実であるからだ。そして、共産圏はその動揺に付け込んで、さらに離反を促す行動に出ると予測されるからだ。

では、冷戦終結後はどうかといえば、答えは後述したい。

2.アメリカとの同盟国、友好国との連携、協調関係を容易に構築
アメリカはヨーロッパの場合とは異なり、「ハブ・アンド・スポークス」体制、すなわちアメリカがハブとなり、アジア諸国と同盟を結んでいる。日本以外にも韓国、台湾、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドと同盟を結び、この他、ASEANやインド等とも良好なパートナーシップを構築している。

日本はこうしたアメリカと同盟を結び、冷戦期には西側陣営に属したため、西側陣営諸国との経済関係を容易に構築できた。それが、旧日本軍が現地で多大な被害を与え、反日感情が渦巻く国や土地であっても、いざとなればアメリカの口添えを期待できた。この点はあまり表沙汰にはならないが、例えば、1960年代のライシャワー駐日大使は、離任時の会見で、日韓関係の向上を自らの成果として挙げているし、最近でも、尹錫悦大統領が日韓関係の改善を目指している姿勢をバイデン大統領が支持するコメントを発している。アメリカとしては、自らの同盟国間で仲違いをされては困るのである。特に、中国の台頭が地域の不安定要素である中、その近隣にある同盟国間であれば、なおさらである。

日本にとって幸いなことに、西側陣営諸国には、米欧のような日本の成熟製品の巨大市場兼先端技術供与元、中東のようなエネルギー資源の宝庫、東南アジアのような資源の宝庫兼(ODAと抱き合わせで)未成熟製品の市場もあった。こうした市場や資源への容易なアクセスが、日本の繁栄に大きく貢献した。そして冷戦終結と共に、旧共産圏への経済活動の制約がほぼなくなり、その活動可能範囲はさらに広がった。現在アメリカが中心となって経済制裁を課している国々は、北朝鮮、イラン等ごく限られている。

では、日本が同盟を結ばず、第三世界の道を進んだ場合、同様に市場、技術や資源にアクセスできなかったか、と問われれば、やはり同盟があった場合ほどアクセスはしにくくかったはずである。なぜなら、先端技術供与を求めるたびに、供与先政府の政治的介入リスクがあり、必ずしも合理的ではない判断で阻止される可能性は否めない。(例えば、アメリカ政府による、中国企業Tiktok社の米国事業売却命令のように)そして、それは何も先端技術だけに留まらない。資源や市場もおなじことだ。必ずしも友好国と認められない場合、相手国政府は必ず神経を尖らせ、場合によっては拒否されるリスクもある。(1941年、アメリカが対日石油禁輸を行ったように)

そして、今一度想起すべきは、20世紀初期に先進国と考えられた国々は、ソ連以外全て西側陣営に所属していたという事実である。1950年代、工業化に必要な資金、技術は、こうした先進国による寡占状態であった。その後、先進国企業が低労働コストを求めて発展途上国に多くの工場を移転したため、少なからずの技術が、少しずつ供与(拡散)された。大規模資本貸付も、当時は米欧主導のIMF、世界銀行、あるいは先進国のODA、金融機関等に限られていた。東西どちらを選ぶことが有利かといえば、西側であったことは自明の理である。

3.アメリカとのパイプ・情報収集
日本は大陸と適度に距離があり、明治まで関わらないでいようと思えば、外国からの介入がほとんどない歴史を持つせいか、国際情勢について情報を入手し、分析し、国の方向性を決め、また他国に日本の意図を説明する能力が弱い。

まだ日本の国力が弱いと身をもって知っていた明治期には、西洋知識を得ることに国を挙げて取り組み、明治政府の首脳陣がほぼ全員約2年間にわたり、欧米視察に行き、見聞を深めた。日露戦争直前には、伊藤博文がロシアを訪問し、平和の模索に出向いていった。また、日英同盟を結ぶことで、様々な情報を収集できるようになった。例えば、日露戦争末期、ロシア領が日本軍に占領されていないため、戦争終結を検討する意思がロシア宮廷にはないとの情報を、イギリス経由で入手し、日本軍は急遽ロシア領樺太を攻撃し、ようやくロシアも戦争終結に向けての交渉をする気になった。

しかし、日清・日露戦争に勝ち、アジア内ではそれなりの国力を持つようになったと自負し、日英同盟も廃棄してしまった後、アメリカとの戦いに勝算があるかどうかも自分の頭で考えることもできなければ、戦争を避けるため、選択肢を広げるための渡航や努力を惜しむ、凡庸首相が続いてしまった。「欧州情勢は複雑怪奇なり」という言葉を残して辞任(平沼騏一郎首相)したり、ソ連側のスパイをブレーンに抱え、ソ連仲介を頼みにしていたり(近衛文麿首相)、と明らかに己を知らず、相手を知らずに無謀な戦いを挑み、国家を崩壊させた。

しかし、戦後アメリカを同盟国とすることで、情報面では二重にメリットがある。一つ目は、超大国・単独覇権国アメリカの意図がある程度事前に知らされるようになったことである。もちろん、全てのグローバル案件やアジア案件で日本政府に事前通達や相談があるわけではない。しかし、日本政府が内容を理解し、国内世論をアメリカ政府のベクトルへ合わせるべく各関係者へ調整できる程度には、いわゆる知日派、日本研究家と呼ばれるジャパン・ハンドラーとその友人たちは意思の疎通が可能となった。これにより、日本政府が国際社会で孤立するような危うい選択リスクは大幅に減少した。

二つ目は、アメリカ政府内に日本側への配慮を求める組織、すなわち米軍(特に海軍)を獲得した点である。戦後日米関係が貿易摩擦問題により雲行きが怪しくなれば、あまりに厳しい同盟国日本への批判に対し、閣僚内で同盟関係を考慮し、穏便に収めるべきだと主張するのは、国防長官だ。それ以上に重要なことは、日本が何を考え(特に日本にアメリカと敵対する意思がないこと)、求めているのかを、アメリカ人に理解できる文脈で説明できるグループがいるということだ。

1970年代までは、第二次世界大戦の反省から、財界も国際理解を深めるべきだとして、三極委員会等精力的に活動していたが、やがて日米関係の安定が当たり前になり、戦争の記憶が薄れるにつれ、日米関係の管理に携わるアクターは、米軍・自衛隊の他には、一握りの国会議員、担当官僚、輸出企業、アカデミア、NPOに先細りしていく。

確かに、沖縄返還以来、(他国を巻き込む案件は別にして)二国間関係で日本側からアメリカに強く働きかけたい政治案件はなくなった。残るは、往年の貿易摩擦のようなアメリカ発の「もらい事故」が今後発生しないことを望むくらいだ。よって、上記アクターに任せておけばいい、というようなメンタリティーでいると、いざ日米同盟の出番が来る事態には、様々なトラブルが起きるだろう。

そもそも日本側でアメリカ人にきちんと日本側の説明をできるかどうかが、即応のための日米連携プレーに不可欠なのだ。それには、不断のコミュニケーション努力でコミュニケーション能力を磨くことが肝心である。いくらAIが発達し、逐語的に正確な翻訳ができるとしても、相手に分かりやすく伝え、人間を動かすのは、人間でしかできないことだ。

そうした日本側のコミュニケーション能力開発不足を、多分に補っているのが、日米同盟体制で対日関係の重要性を主張するようビルトインされた米軍将校であり、その貴重性が現状ますます高まっている。




吉川 由紀枝???????????????????? ライシャワーセンター アジャンクトフェロー

慶応義塾大学商学部卒業。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)東京事務所
にて通信・放送業界の顧客管理、請求管理等に関するコンサルティングに従事。2005年
米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院にて修士号取得後、ビジティングリサーチ
アソシエイト、上級研究員をへて2011年1月より現職。また、2012-14年に沖縄県知事
公室地域安全政策課に招聘され、普天間飛行場移転問題、グローバル人材育成政策立案に携わる。
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